
こんばんは。GWが終わりしばらく経ちますが、なかなか疲れが抜けないたぬきです。そんな時は本を読んでリフレッシュしたり、現実逃避をするのもいいかもしれません。ただ、今回のこの小説はリフレッシュというには程遠い感じでした。この画像はChatGPTに作ってもらいました。お読みいただければ、この画像の意味もお分かりいただけると思います。

誰にも理解されない社会の異物
「社会の異物は周りから詮索される」
この一文で始まる朝井リョウさんの『正欲』は、
読書という行為の中で、私が久しぶりに「恐怖」を感じた作品でした。
日常のすぐ隣にあるのに、
きっと自分ひとりでは一生たどり着けない領域。
この作品は、そんな「見えていなかった世界」の扉を、ぐいと開けてしまう。
読後、しばらく言葉を失いました。
冒頭に出てくるのは、「小児性愛者のパーティ」に関するネット記事。最初は戸惑います。
でも読み進めるうちに、その不穏さの裏にある、ある種の“誤解”の構造が少しずつ見えてくるのです。
物語は、複数の人物の視点で語られます。
登場人物たちは、それぞれに社会の「外側」から何かを見ていて、
その目線は時に苦しく、でも異様なほどリアルです。
特に衝撃的だったのは、
「誰とも性的につながることができない」人物と、
冒頭の「パーティ」が予想外の形で繋がっていく展開。
そのつながりは、社会にとっては「理解しがたいもの」でしかなく、
だからこそ、登場人物のひとりが吐き出すように語るあの言葉が、
胸の奥をえぐるように刺さってきます。
「あなたのいう現実で、誰に説明したってわかってもらえない者同士、どうにか繋がり合って生きてるんです。」
『正欲』朝井リョウ
想像のその範囲外の出来事
たぶん、私たちはみんな「現実」というものを、
自分の想像できる範囲内で定義してしまっているんだと思います。
でもこの物語に登場する人たちは、
その想像の範囲からずっと外に置かれてきた人たちです。
「そんな人、見たことがない」と思っているのは、
実は「見ようとしてこなかっただけ」なのかもしれない。
この小説を読んで、私はあらためて思いました。
想像力がなければ、人を傷つけてしまう。
そして、想像力があっても、追いつけない痛みが、この世界にはあるんだと。
そんなとき私たちにできることは、
せめてその痛みの存在を否定しないこと。
理解できないからといって、「なかったこと」にしないこと。
読んでいて、何度も目をそらしたくなりました。
でも、それはきっと、朝井リョウさんが意図したことでもあるのだと思います。
📌たぬき的・気づきとざわめき
- 自分の想像の限界を突きつけられた
- 「正しさ」って、誰が決めているのだろう?と考えさせられた
- 「普通」であることが、いかに強い「特権」なのかを実感した
- 登場人物の心の叫びが、決してフィクションではないと感じた
ちなみに作中で語られた、
「日本で、男で、五体満足な異性愛者に生まれたら、9割の理不尽から逃れられる」という話。
たしかにそれは、石原慎太郎的な価値観が幅を利かせていた時代の、延長線にある世界観かもしれません。
📖あとがきのような、たぬきのひとこと
読んでいて心地よくなる作品ではありません。
むしろ、心の中にずっと「異物感」が残り続けるような小説です。
でも、『正欲』を読まなければ、
私はきっと今も、自分の「想像の範囲」だけで世界を語っていたと思います。
人とわかり合うって、本当に難しい。
でも、わかり合えないまま、それでも寄り添うことはできるかもしれない。
そんな希望が、わずかに灯ったような気がします。
たぬき文庫のよりみち帖、
今日は「現実と想像の狭間で揺れる、静かな衝撃」を記録しました。
ここまで読んでくださって、ありがとうございました。
読書って、ただ楽しいだけじゃない。
でも、だからこそ、意味があるんだと思います。

