
二日ほどブログを書いていませんでした。
そうしたら師匠に怒られました。「ただ書けばいいんや。お前は余計なことを考えすぎじゃ。」まるで日高先生のようなセリフでした。
ということで今日は、映画が現在公開されている『かくかくしかじか』について語らせてください。
本気で向き合う愛情

美大受験を控えた少女と、
ジャージに竹刀姿の、どう見ても「怖い系」の美術予備校の先生。
でも、その「怖さ」の正体は、本気で向き合う愛情だった。
東村アキコさんの自伝的エッセイ漫画『かくかくしかじか』は、
笑って、泣いて、心が痛んで、そしてあたたかくなる――そんな物語です。
物語の軸となるのは、
ジャージ姿で竹刀を持って生徒を指導する、日高先生。
その存在は、まさに「昭和のスパルタ」。
怒鳴る。たたく(竹刀で、机とか…!)。泣かせる。
でも、その厳しさの奥には、絵を描くということへの本気の情熱と、
生徒の可能性を信じる真っ直ぐな眼差しがありました。
若き日のアキコ(=東村アキコ)は、
その熱さに応えるように一生懸命描くけれど、
やがて東京に出て、目の前の楽しいことや欲望に溺れていきます。
遠ざかっていくのは、絵でも、先生でも、自分の本音でもある。
私はこのあたりの展開が、とてもリアルで切なかったです。
先生のように生きられない。
わかっていても、ちゃんと向き合えない。
それって、実は多くの人が抱えている「弱さ」なんじゃないかと思います。
物語が進むにつれ、日高先生がいなくなることを暗示させるモノローグ。
そして「描いているか?」という、ただ一言の問い。
読んでいるこちらも胸がぎゅっと締めつけられます。
先生は決して「わかりやすい優しさ」ではないけれど、
言葉や態度のひとつひとつに、揺るがない信念と愛情がある。
「孝行をしたい時には親はなし
まさにそんな言葉が胸をよぎるように、
アキコはたくさん後悔を抱えています。
でも読者の私は思うんです。
アキコが「描いている」こと。
それが、何よりの恩返しなんじゃないかって。
それが漫画であっても。
日高先生の教えを直接反映した作品じゃなくても。
今こうして、東村アキコとして作品を生み出し続けている――
その姿こそが、日高先生が望んでいたことだったんじゃないかと。
📌たぬき的・泣けた&刺さったポイント
- ジャージ+竹刀という強烈ビジュアルに隠された、深い愛情
- 目の前の誘惑に流されてしまうリアルな弱さと後悔
- 自画像がジャージ姿になった“あのページ”のリスペクト
- そして、5巻の表紙。言葉にならない涙がこぼれました
📖あとがきのような、たぬきのひとこと
「先生」って、
そのときは怖かったり、うっとうしかったりするけれど、
時間がたってからこそ、その存在の大きさがわかることがあります。
そして、きっとあの先生も思っていたはずです。
「描いてるか? ……なら、それでええ。」
そう言って、竹刀でポンと肩を叩いてくれる気がします。
たぬき文庫のよりみち帖、
今日は「厳しさの奥にある、本物の愛」を描いた作品をご紹介しました。
「描くことは、生きること。」
そんな言葉が自然と心に浮かぶ一冊です。
また大切な思い出を抱きしめたくなったときに、ぜひもう一度読み返してみてくださいね😊

